但(ただ)うれ(嬉)しき事は武士の習(なら)ひ君の御為に宇治・勢多(せた)を渡し、前(さき)を か(駆)けなんどしてありし人は、たと(設)ひ身は死すれども名を後代に挙(あ)げ候(そうろう)ぞかし。日蓮は法華経の ゆへ(故)に度々(たびたび)所を お(追)はれ、戦(いくさ)をし、身に手を お(負)ひ、弟子等を殺され、両度まで遠流(おんる)せられ、既(すで)に頸(くび)に及(およ)べり。是(これ)偏(ひとえ)に法華経の御為なり。
(平成新編1266・御書全集1415・正宗聖典----・昭和新定[2]1891・昭和定本[2]1565)
[弘安01(1278)年09月06日(佐後)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]