法華経には「正直に方便を捨てゝ但(ただ)無上道を説く」云云。涅槃経には「邪見の人」等云云。邪見方便と申すは華厳・大日経・般若経・阿弥陀経 等の四十余年の経々なり。捨(しゃ)とは、天台の云(い)はく「廃(すて)るなり」と。又(また)云はく「謗(ぼう)とは背(そむ)くなり」と。正直の初心の行者の法華経を修行する法は、上に挙(あ)ぐるところの経々宗々を抛(なげう)ちて、一向に法華経を行ずるが真(まこと)の正直の行者にては候(そうろう)なり。
(平成新編1139・御書全集0345・正宗聖典----・昭和新定[2]1682・昭和定本[2]1315)
[建治03(1277)年06月(佐後)]
[真跡・小湊誕生寺外三〇ヶ所(10%以上40%未満現存)、古写本・日澄筆 北山本門寺 日法筆 岡宮光長寺]
[※sasameyuki※]