法門と申(もう)すは、人を憚(はばか)り世(よ)を恐れて、仏の説き給(たま)ふが如(ごと)く経文の実義を申さざらんは愚者の至極(しごく)なり。智者上人(しょうにん)とは覚え給はず。悪法 世に弘まりて、人 悪道に堕(お)ち、国土 滅(めっ)すべしと見へ候(そうら)はむに、法師(ほっし)の身として争(いか)でか いさ(諌)めず候(そうろう)べき。然(しか)れば則(すなわ)ち法華経には「我 身命(しんみょう)を愛せず」と、涅槃経には「寧(むし)ろ身命を喪(うしな)ふとも」等云云。実(まこと)の聖人(しょうにん)にて をはせば、何(いかん)が身命を惜(お)しみて世にも人にも恐れ給ふべき。
(平成新編1129・御書全集1155・正宗聖典ーーーー・昭和新定[2]1666~1667・昭和定本[2]1349)
[建治03(1277)年06月25日(佐後)]
[古写本・日興筆 北山本門寺]
[※sasameyuki※]