去(い)ぬる文永八年九月十二日に、平左衛門(へいのさえもん)並びに数百人に向かって云(い)はく、日蓮は日本国の はしら(柱)なり。日蓮を失ふほどならば、日本国の はしら(柱)を たを(倒)すになりぬ云云。此(こ)の経文に智人を国主 等、若(も)しは悪僧 等が ざんげん(讒言)により、若しは諸人の悪口(あっく)によ(依)て失(とが)に あ(当)つるならば、には(俄)かに いくさ(軍)を(起)こり、又 大風ふ(吹)かせ、他国より せ(責)むべし等云云。去ぬる文永九年二月の どし(同士)いくさ、同じき十一年の四月の大風、同じき十月に大蒙古の来(き)たりしは、偏(ひとえ)に日蓮が ゆへ(故)にあらずや。いわ(況)うや前より これを かんが(勘)へたり。誰の人か疑ふべき。
(平成新編1019・御書全集0312・正宗聖典0252・昭和新定[2]1516・昭和定本[2]1222~1223)
[建治02(1276)年07月21日(佐後)]
[真跡・池上本門寺外五ヶ所(10%未満現存) 身延曾存、古写本・日舜筆 富士大石寺 日乾筆 京都本満寺]
[※sasameyuki※]