法華経の第四に云(い)はく「人 有って仏道を求めて一劫(こう)の中に於(おい)て合掌(がっしょう)して我が前に在って無数の偈(げ)を以(もっ)て讃(ほ)めん。是(こ)の讃仏(さんぶつ)に由(よ)るが故(ゆえ)に無量の功徳を得(え)ん。持経者を歎美(たんび)せんは其(そ)の福 復(また)彼に過(す)ぎん」等云云。文(もん)の心は、仏を一劫が間 供養(くよう)したてまつるより、末代悪世の中に人の あなが(強)ちに にく(憎)む法華経の行者を供養する功徳は すぐ(勝)れたりと と(説)かせ給(たま)ふ。たれ(誰)の人の かゝる ひが(僻)事(ごと)をば おほ(仰)せらるゝぞと疑ひ おも(思)ひ候(そうら)へば、教主釈尊の我と おほ(仰)せられて候(そうろう)なり。疑はんとも信ぜんとも御心(みこころ)にまかせ まい(進)らする。
(平成新編0744~0745・御書全集1508・正宗聖典ーーーー・昭和新定[2]1086・昭和定本[1]0835)
[文永11(1274)年11月11日(佐後)]
[古写本・日興筆 富士大石寺]
[※sasameyuki※]