かゝる明文(めいぶん)を学しあやま(誤)りて、日本・漢土・天竺(てんじく)の謗法の学匠達(がくしょう たち)、皆 念仏者・真言・禅・律の小乗権教には随(したが)ひ行じて法華経を捨ては(果)て候(そうら)ひぬ。仏法に まど(惑)へるをば し(知)ろし め(食)されず。形(かたち)まことしげ なれば、云(い)ふ事も疑ひあらじと計(ばか)り御信用候(そうろう)間、をも(思)はざるに法華経の敵(かたき)、釈迦仏の怨(あだ)と な(成)らせ給(たま)ひて、今生(こんじょう)には祈る所願も虚(むな)しく、命も みじか(短)く、後生(ごしょう)には無間大城(だいじょう)を すみか(栖)とすべしと正(まさ)しく経文に見えて候。
(平成新編1243~1244・御書全集1403・正宗聖典----・昭和新定[2]1851~1852・昭和定本[2]1528)
[弘安01(1278)年07月03日(佐後)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]