かく法華経は めでたく、真言は をろ(愚)かに候(そうろう)に、日本の ほろ(亡)ぶべきにや、一向(いっこう)真言にて あるなり。隠岐(おき)の法王の事をもっ(以)て をも(思)うに、真言をもって蒙古(もうこ)と へぞ(俘因)とを でうぶく(調伏)せば、日本国や ま(負)けんずらんと すひ(推)せしゆへ(故)に、此(こ)の事いのちを す(捨)てゝ い(云)ゐてみんと をも(思)ひしなり。い(云)ゐし時は でしら(弟子等)せい(制)せしかども、いま(今)は あ(合)ひぬれば心よ(良)かるべきにや。漢土・日本の智者五百余年が間、一人(いちにん)も し(知)らぬ事を かんが(勘)へて候なり。
(平成新編0875・御書全集1470・正宗聖典----・昭和新定[2]1296・昭和定本[2]1068~1069)
[建治01(1275)年06月22日(佐後)]
[真跡・富士大石寺外一ヶ所(70%以上100%未満現存)、古写本・日順筆 北山本門寺]
[※sasameyuki※]