而(しか)るに法華経の末代(まつだい)の行者を心にも をも(思)はず、色にも そね(嫉)まず、只(ただ)たわ(戯)ぶれて の(罵)りて候(そうろう)が、上(かみ)の提婆達多(だいばだった)が ごと(如)く三業相応(さんごうそうおう)して一中劫、仏を罵詈(めり)し奉(たてまつ)るにす(過)ぎて候と と(説)かれて候。何(いか)に況(いわ)んや当世の人の提婆達多が ごと(如)く三業相応しての大悪心をも(以)て、多年が間 法華経の行者を罵詈・毀辱(きにく)・嫉妬・打擲(ちょうちゃく)・讒死(ざんし)・歿死(ぼっし)に当てんをや。
(平成新編0810・御書全集1041~1042・正宗聖典ーーーー・昭和新定[2]1191・昭和定本[1]0936~0937)
[建治01(1275)年04月(佐後)]
[真跡・京都本圀寺外三ヶ所(10%未満現存) 身延曾存]
[※sasameyuki※]