倩(つらつら)物の心を案(あん)ずるに、一切衆生等の六根は悉(ことごと)く法華経の体(たい)なりけりと、能(よ)く能く目をと(閉)ぢ、心をしづめて つくづく御意得(おんこころえ)候(そうら)へ。心が法華経の体ならんには、五根が法華の体にてある事は疑(うたが)ひ無し。心は王なり、五根は眷属(けんぞく)なり。目に見、耳に聞く等の事は、心が み(見)せ き(聞)かせするなり。五根の振る舞ひは併(しかしなが)ら心が計(はか)らひなり。物を見るも心が所作(しょさ)なれば眼も法華経なり。耳に聞くも心が計らひなれば、耳即ち法華経なり。余根(よこん)以(もっ)て之(これ)に同じ。
(平成新編0055・御書全集ーーーー・正宗聖典ーーーー・昭和新定[1]0145・昭和定本[3]2019)
[康元01(1256)年(佐前)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]