問(と)うて曰(いわ)く、六道(ろくどう)に於(おい)て分明(ふんみょう)ならずと雖(いえど)も、粗(ほぼ)之(これ)を聞くに之を備(そな)ふるに似(に)たり。四聖(ししょう)は全く見えざるは如何(いかん)。答(こた)へて曰く、前(さき)には人界の六道 之を疑ふ、然(しか)りと雖も強(し)ひて之を言って相似(そうじ)の言(ことば)を出(い)だせしなり、四聖も又 爾(しか)るべきか。試(こころ)みに道理を添加(てんか)して万が一 之を宣(の)べん。所以(いわゆる)世間の無常は眼前(げんぜん)に有り、豈(あに)人界に二乗界 無からんや。無顧(むこ)の悪人も猶(なお)妻子を慈愛す、菩薩界の一分(いちぶん)なり。但(ただ)仏界計(ばか)り現じ難(がた)し、九界(くかい)を具(ぐ)するを以(もっ)て強ひて之を信じ、疑惑せしむること勿(なか)れ。
(平成新編0647・御書全集0241・正宗聖典0146・昭和新定[2]0960~0961・昭和定本[1]0705~0706)
[文永10(1273)年04月25日(佐後)]
[真跡・中山法華経寺(100%現存)]
[※sasameyuki※]