日蓮も過去の種子(しゅし)已(すで)に謗法の者なれば、今生(こんじょう)に念仏者にて数年が間、法華経の行者を見ては未有一人得者千中無一(みういちにんとくしゃせんちゅうむいち)等と笑ひしなり。今 謗法の酔(よ)ひさ(醒)めて見れば、酒に酔へる者 父母を打ちて悦(よろこ)びしが、酔ひさめて後 歎(なげ)きしが如(ごと)し。歎けども甲斐(かい)なし、此(こ)の罪 消えがた(難)し。何(いか)に況(いわ)んや過去の謗法の心中にそ(染)みけんをや。
(平成新編0581・御書全集0959・正宗聖典----・昭和新定[1]0840・昭和定本[1]0615)
[文永09(1272)年03月20日(佐後)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]