凡(およ)そ此(こ)の事の根源は、去(い)ぬる六月九日、日蓮聖人の御弟子三位公(さんみこう)、頼基(よりもと)が宿所に来たり申して云(い)はく、近日(このごろ)竜象房と申す僧 京都より下(くだ)りて、大仏の門の西桑谷(くわがやつ)に止住して、日夜に説法(せっぽう)仕(つかまつ)るが申して云はく、現当の為、仏法に御不審存(ぞん)ぜむ人は来たりて問答申すべき旨(むね)説法せしむる間、鎌倉中の上下釈尊の如(ごと)く貴(とうと)び奉(たてまつ)る。しかれども問答に及ぶ人なしと風聞し候(そうろう)。彼(かしこ)へ行き向かひて問答を遂(と)げ、一切衆生の後生の不審をは(晴)らし候(そうら)はむと思ひ候(そうろう)。聞き給(たま)はぬかと申されしかども、折節(おりふし)宮仕(みやづか)へに隙(ひま)無く候(そうら)ひし程(ほど)に、思ひ立たず候ひしかども、法門の事と承(うけたまわ)りてたびたび(度々)罷(まか)り向かひて候へども、頼基は俗家の分にて候(そうろう)、一言(いちごん)も出(い)ださず候(そうら)ひし上は、悪口(あっく)に及ばざる事、厳察(げんさつ)に足(た)るべく候(そうろう)。
(平成新編1126~1127・御書全集1153・正宗聖典ーーーー・昭和新定[2]1663~1664・昭和定本[2]1346)
[建治03(1277)年06月25日(佐後)]
[古写本・日興筆 北山本門寺]
[※sasameyuki※]