但(ただ)し権教(ごんきょう)に於(おい)ても成仏得道(とくどう)の外(ほか)は説相(せっそう)空(むな)しかるべからず、法華の為(ため)の綱目(こうもく)なるが故(ゆえ)に。所詮(しょせん)成仏の大綱(たいこう)を法華に之(これ)を説き、其(そ)の余(よ)の綱目は衆典(しゅてん)に明(あ)かす。法華の為の綱目なるが故に法華の証文(しょうもん)に之を引き用(もち)ふべきなり。其の上(うえ)法華経にて実義(じつぎ)有るべきを、爾前(にぜん)の経にして名字(みょうじ)計(ばか)りのゝし(罵)る事全(まった)く法華の為なり。然(しか)る間(あいだ)尤(もっと)も法華の証文となるべし。
(平成新編0915・御書全集0972~0973・正宗聖典----・昭和新定[2]1355・昭和定本[2]1120)
[建治01(1275)年11月23日(佐後)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]