譬(たと)へば大地の上に人畜草木(にんちくそうもく)等あれども、日月(にちがつ)の光なければ眼(まなこ)ある人も人畜草木の色かたち(形)をし(知)らず。日月い(出)で給(たま)ひてこそ始めてこれをばし(知)ることには候(そうら)へ。爾前(にぜん)の諸経は長夜(じょうや)のやみ(闇)のごと(如)し。法華経の本迹二門は日月のごとし。諸(もろもろ)の菩薩の二目ある、二乗の眇目(みょうもく)なる、凡夫の盲目(めくら)なる、闡提(せんだい)の生盲(いきめくら)なる、共に爾前の経々にてはいろかたち(色形)をばわきま(弁)へずありし程に、法華経の時(とき)迹門の月輪(がつりん)始めて出(い)で給ひし時、菩薩の両眼先にさとり、二乗の眇目次にさとり、凡夫の盲目次に開き、生盲の一闡提(いっせんだい)も未来に眼の開くべき縁を結ぶ事、是(これ)偏(ひとえ)に妙の一字の徳なり。
(平成新編0357・御書全集0943~0944・正宗聖典----・昭和新定[1]0539~0540・昭和定本[1]0397)
[文永03(1266)年01月06日(佐前)]
[真跡・水戸久唱寺他十一ヶ所(10%以上40%未満現存)、古写本・日目筆 宮城一迫妙教寺]
[※sasameyuki※]