法華経こそ「正直に方便を捨てゝ但(ただ)無上道を説く、妙法華経は皆(みな)是(これ)真実」と釈迦多宝の二仏定(さだ)めさせ給(たま)ふ上、諸仏も座に列(つら)なり給ひて、舌を出(い)ださせ給ひぬ。一字一文(もん)・一句一偈(げ)なりとも、信心を堅固(けんご)に発(お)こして疑(うたが)ひを成(な)すべからず。其(そ)の上、疑ひを成すならば「疑ひを生(しょう)じて信ぜざる者は即(すなわ)ち当(まさ)に悪道(あくどう)に堕(お)つべし」「若(も)し人(ひと)信ぜずして乃至(ないし)其の人命終(みょうじゅう)して阿鼻獄に入(い)らん」と、無虚妄(むこもう)の御舌をも(以)て定めさせ給ひぬれば、疑ひをなして悪道にお(堕)ちては何(なん)の詮(せん)か有るべきと覚(おぼ)ゆ。
(平成新編0339~0340・御書全集ーーーー・正宗聖典----・昭和新定[1]0516・昭和定本[1]0344~0345)
[文永02(1265)年"建長05(1253)年"(佐前)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]