法華経こそ此(こ)の穢土(えど)より浄土に生(しょう)ずる正因(しょういん)にては侍(はべ)れ。念仏等は未顕真実(みけんしんじつ)の故(ゆえ)に浄土の直因(じきいん)にはあら(非)ず。然(しか)るに浄土の正因をば極楽にして、後に修行すべき物と思ひ、極楽の直因にあら(非)ざる念仏をば浄土の正因と思ふ事僻案(びゃくあん)なり。浄土門は春(はる)沙(いさご)を田に蒔(ま)きて秋(あき)米を求め、天月をす(捨)てゝ水に月を求むるに似(に)たり。人の心に叶(かな)ひて法華経を失(うしな)ふ大術、此の義にはす(過)ぎず。
(平成新編0329・御書全集0112~0113・正宗聖典----・昭和新定[1]0507・昭和定本[1]0296)
[文永01(1264)年(佐前)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]