かうてかへりみれば、華厳経の台上十方、阿含経の小釈迦、方等(ほうどう)・般若(はんにゃ)の、金光明経(こんこうみょうきょう)の、阿弥陀経の、大日経等の権仏(ごんぶつ)等は、此(こ)の寿量の仏の天月、しばらく影を大小の器にして浮かべ給(たま)ふを、諸宗の学者等、近くは自宗に迷(まよ)ひ、遠くは法華経の寿量品をし(知)らず。水中の月に実月の想(おも)ひをなし、或(あるい)は入(い)って取(と)らんとをも(思)ひ、或は縄(なわ)をつけてつな(繋)ぎとゞ(留)めんとす。天台云(い)はく「天月を識(し)らず、但(ただ)池月(ちげつ)を観(かん)ず」等云云。
(平成新編0536・御書全集0197~0198・正宗聖典0088~0089・昭和新定[1]0775・昭和定本[1]0552~0553)
[文永09(1272)年02月(佐後)]
[真跡・身延曾存]
[※sasameyuki※]