問(と)うて云(い)はく、法華経を離れて往生(おうじょう)成仏をと(遂)げずば、仏(ほとけ)世(よ)に出(い)でさせ給(たま)ひては但(ただ)法華経計(ばか)りをこそ説き給(たま)はめ。なん(何)ぞわづら(煩)はしく四十余年(しじゅうよねん)の経々(きょうぎょう)を説かせ給ふや。答(こた)へて云はく、此(こ)の難(なん)は仏自(みずか)ら答へ給へり。「若(も)し但(ただ)仏乗(ぶつじょう)を讃(さん)ぜば衆生苦(く)に没在(もつざい)して法を破(は)して信ぜざるが故(ゆえ)に三悪道(さんなくどう)に墜(お)ちなん」等の経文これなり。問うて云はく、いかなれば爾前(にぜん)の経をば衆生謗(ぼう)ぜざるや。答へて云はく、爾前の経々は万差(ばんさ)なれども、束(つか)ねて此(これ)を論ずれば随他意(ずいたい)と申(もう)して衆生の心をと(説)かれてはんべ(侍)り。故に違(い)する事なし。譬(たと)へば水に石をな(投)ぐるにあらそ(争)うことな(無)きがごと(如)し。又(また)しなじな(品々)の説教はんべ(侍)れども九界(くかい)の衆生の心を出(い)でず。衆生の心は皆(みな)善につけ悪につけて迷(まよい)を本(もと)とするゆへ(故)に仏にな(成)らざるか。
(平成新編0282・御書全集0451・正宗聖典ーーーー・昭和新定[1]0440~0441・昭和定本[1]0259~0260)
[弘長02(1262)年(佐前)]
[真跡・身延曾存]
[※sasameyuki※]