かゝる地頭(じとう)・万民(ばんみん)、日蓮をにく(憎)みねた(妬)む事(こと)鎌倉よりもす(過)ぎたり。見るものは目をひき、き(聞)く人はあだ(怨)む。こと(殊)に五月(さつき)のころ(頃)なれば米もとぼ(乏)しかるらんに、日蓮を内々(ないない)にてはぐく(育)み給(たま)ひしことは、日蓮が父母の伊豆の伊東かわな(川奈)と云(い)ふところに生まれか(変)はり給ふか。法華経の第四に云はく「及び清信士女(しょうしんじにょ)を遣(つか)はして法師(ほっし)を供養せしめ」云云。法華経を行ぜん者をば、諸天善神等、或(あるい)はをとこ(男)となり、或は女となり、形をか(変)へ、さまざま(様々)に供養してたす(助)くべしと云ふ経文なり。弥三郎殿(やさぶろうどの)夫婦の士女(しにょ)と生まれて、日蓮法師を供養する事(こと)疑ひなし。さき(前)にまい(進)らせし文(ふみ)につぶさ(具)にか(書)きて候(そうら)ひし間、今はくは(委)しからず。
(平成新編0261~0262・御書全集1445・正宗聖典----・昭和新定[1]0409~0410・昭和定本[1]0229~0230)
[弘長01(1261)年06月27日(佐前)]
[真跡、古写本・無]
[秘・すこしも人しるならば御ためあ(悪)しかりぬべし]
[※sasameyuki※]