妙楽大師(みょうらくだいし)の云(い)はく「若(も)しは取(しゅ)若しは捨(しゃ)、耳に経(へ)て縁と成(な)る、或(あるい)は順(じゅん)或は違(い)、終(つい)に斯(これ)に因(よ)って脱(だっ)す」云云。日蓮云はく、若しは取若しは捨、或は順或は違の文(もん)肝(きも)に銘(めい)ずる詞(ことば)なり。法華経に「若有聞法者(にゃくうもんぽうしゃ)」等と説かれたるは是(これ)か。既に聞く者と説かれたり、観念計(ばか)りにて成仏すべくば若有観法者(にゃくうかんぽうしゃ)と説かるべし。只(ただ)天台の御料簡(ごりょうけん)に十如是と云ふは十界なり。此(こ)の十界は一念より事(こと)起こり、十界の衆生は出(い)で来たりけり。此の十如是と云ふは妙法蓮華経にて有(あ)りけり。此の娑婆世界(しゃばせかい)は耳根得道(にこんとくどう)の国なり。以前に申す如く「当知身土(とうちしんど)」云云。一切衆生の身に百界千如・三千世間を納(おさ)むる謂(いわ)れを明(あ)かすが故に、是(これ)を耳に触(ふ)るゝ一切衆生は功徳を得る衆生なり。
(平成新編0109~0110・御書全集0415・正宗聖典----・昭和新定[1]0222~0223・昭和定本[3]2038~2039)
[正嘉02(1258)年(佐前)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]