かくの如(ごと)き等の法門、日蓮を除(のぞ)きては申(もう)し出(い)だす人一人(いちにん)もあ(有)るべからず。天台・妙楽・伝教等は心には知り給(たま)へども言(ことば)に出(い)だし給ふまではな(無)し、胸の中にしてく(暮)らし給へり。其(そ)れも道理なり、付嘱(ふぞく)なきが故(ゆえ)に、時のいま(未)だいた(至)らざる故に、仏の久遠の弟子にあら(非)ざる故に、地涌の菩薩の中の上首(じょうしゅ)唱導(しょうどう)上行・無辺行等の菩薩より外(ほか)は、末法の始めの五百年に出現して法体の妙法蓮華経の五字を弘(ひろ)め給ふのみならず、宝塔(ほうとう)の中の二仏並座(にぶつびょうざ)の儀式を作り顕(あら)はすべき人なし。是(これ)即(すなわ)ち本門寿量品の事(じ)の一念三千の法門なるが故なり。
(平成新編0664~0665・御書全集1358・正宗聖典----・昭和新定[2]0979・昭和定本[1]0724)
[文永10(1273)年05月17日(佐後)]
[真跡、古写本・無]
[秘・日蓮が相承の法門等]
[※sasameyuki※]