日蓮不思議一つ云(い)はんと思ひて、六郎左衛門尉(ろくろうさえもんのじょう)を大庭よりよ(呼)び返して云はく、いつ(何時)か鎌倉へのぼ(上)り給(たま)ふべき。かれ(彼)答(こた)へて云はく、下人共(げにんども)に農せさせて七月の比(ころ)と云云。日蓮云はく、弓箭(ゆみや)とる者は、をゝやけ(公)の御大事にあひて所領をも給はり候(そうろう)をこそ田畠つく(作)るとは申せ、只今(ただいま)いくさ(軍)のあらんずるに、急ぎうちのぼ(上)り高名(こうみょう)して所知(しょち)を給はらぬか。さすがに和殿原(わどのばら)はさがみ(相模)の国には名ある侍(さむらい)ぞかし。田舎(いなか)にて田つく(作)り、いくさ(軍)にはづ(外)れたらんは恥なるべしと申せしかば、いかにや思ひげにて、あはてゝ(周章)ものもいはず。念仏者・持斎(じさい)・在家の者ども(共)もなにと云ふ事ぞやと怪(あや)しむ。
(平成新編1065・御書全集0918~0919・正宗聖典ーーーー・昭和新定[2]1587・昭和定本[2]0975)
[建治02(1276)年"建治01(1275)年"(佐後)]
[真跡・身延曾存]
[※sasameyuki※]