いゑ(家)の芋(いも)一駄(いちだ)送り給(た)び候(そうろう)。こんろん(崑崙)山と申す山には玉のみ有りて石なし。石とも(乏)しければ玉をも(以)て石をかふ。はうれいひん(彭蠡浜)と申す浦には木草なし。いを(魚)をもって薪(たきぎ)をかふ。鼻に病ある者はせんだん(栴檀)香、用にあら(非)ず。眼(まなこ)なき者は明らかなる鏡なにかせん。
此(こ)の身延の沢と申す処(ところ)は甲斐国波木井の郷の内の深山(みやま)なり。西には七面(なないた)の がれ(崩)と申すたけ(岳)あり。東は天子のたけ、南は鷹取(たかとり)のたけ、北は身延のたけ、四山の中に深き谷あり、はこ(箱)のそこ(底)のごとし。峰(みね)には はかう(巴峡)の猿の音(こえ)かまびすし。谷にはたいかい(■[=破-皮+隶]■[=破-皮+鬼])の石多し。
然(しか)れども、するが(駿河)のいも(芋)のやう(様)に候(そうろう)石は一つも候(そうら)はず。いも(芋)のめづら(珍)しき事、くら(闇)き夜のともしび(灯)にもす(過)ぎ、かは(渇)ける時の水にもすぎて候(そうら)ひき。いか(如何)にめづらしからずとはあそばされて候(そうろう)ぞ。されば其(そ)れには多く候か。あらこひ(恋)し、あらこひし。法華経・釈迦仏にゆづ(譲)りまゐ(進)らせ候(そうら)ひぬ。定(さだ)んで仏は御志をおさめ給(たま)ふなれば御悦(およろこ)び候(そうろう)らん。霊山浄土(りょうぜんじょうど)にまゐらせ給ひたらん時(とき)御尋(おたず)ねあるべし。恐々謹言。
(平成新編1043~1044・御書全集1535~1536・正宗聖典ーーーー・昭和新定[2]1554・昭和定本[2]1260)
[建治02(1276)年09月15日(佐後)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]