[ かへすがへす、するが(駿河)の人々みな同じ御心(みこころ)と申させ給(たま)ひ候(そうら)へ。]
柑子(こうじ)一百・こぶ(昆布)・のり(海苔)・をご(於胡)等のすゞ(種々)の物、はるばるとわざわざ山中(さんちゅう)へをく(送)り給(た)びて候(そうろう)。ならびにうつぶさ(内房)の尼ごぜん(御前)の御こそで(小袖)一つ給び候(そうら)ひ了(おわ)んぬ。
さてはかたがたのをほ(仰)せくは(委)しくみほど(見解)き候(そうろう)。抑(そもそも)仏法をがく(学)する者は大地微塵(みじん)よりをほ(多)けれども、まこと(実)に仏にな(成)る人は爪上(そうじょう)の土(ど)よりもすく(少)なしと、大覚世尊、涅槃経にたしかにと(説)かせ給(たま)ひて候(そうら)ひしを、日蓮み(見)まいらせ候(そうら)ひて、いか(如何)なればかくわかた(難)かあるらむとかんが(勘)へ候(そうら)ひしほどに、げにもさるらむとをも(思)う事候(そうろう)。仏法をばがく(学)すれども、或(あるい)は我が心のをろ(愚)かなるにより、或はたとい智慧はかしこ(賢)きやう(様)なれども師によりて我が心のま(曲)がるをし(知)らず。仏教をなを(直)しくなら(習)いう(得)る事かた(難)し。
(平成新編1202・御書全集1487・正宗聖典ーーーー・昭和新定[2]1778・昭和定本[2]1443~1444)
[建治04(1278)年02月23日(佐後)]
[古写本・日興筆 北山本門寺]
[※sasameyuki※]