其(そ)の上、人は見る眼の前には心ざし有れども、さしはな(離)れぬれば、心はわす(忘)れずともさてこそ候(そうろう)に、去(い)ぬる文永十一年より今年弘安元年まではすで(既)に五箇年が間此(こ)の山中(さんちゅう)に候に、佐渡国より三度まで夫をつか(遣)わす。いくらほど(程)の御心ざしぞ。大地よりもあつ(厚)く大海よりもふか(深)き御心ざしぞかし。釈迦如来は、我が薩■(=垢-后+垂)王子(さったおうじ)たりし時、う(飢)へたる虎に身をか(飼)いし功徳、尸毘王(しびおう)とありし時、鳩(はと)のため(為)に身をかへし功徳をば、我が末(すえ)の代(よ)か(是)くのごと(如)く法華経を信ぜん人にゆづ(譲)らむとこそ、多宝・十方の仏の御前にては申させ給(たま)ひしか。
(平成新編1253・御書全集1314・正宗聖典----・昭和新定[2]1870・昭和定本[2]1545~1546)
[弘安01(1278)年07月28日(佐後)]
[真跡・佐渡妙宣寺(100%現存)]
[※sasameyuki※]