白米一だ(駄)をく(送)り給(た)び了(おわ)んぬ。
一切の事は時による事に候(そうろう)か。春は花、秋は月と申す事も時なり。仏も世(よ)にい(出)でさせ給(たま)ひし事は法華経のため(為)にて候(そうら)ひしかども、四十余年はと(説)かせ給(たま)はず。其(そ)の故(ゆえ)を経文にと(説)かれて候(そうろう)には「説時(せつじ)未(いま)だ至(いた)らざる故なり」等云云。なつ(夏)あつわた(厚綿)のこそで(小袖)、冬かたびら(帷)をた(給)びて候(そうろう)は、うれ(嬉)しき事なれども、ふゆ(冬)のこそで(小袖)、なつ(夏)のかたびら(帷)にはす(過)ぎず。う(飢)へて候(そうろう)時のこがね(金)、かっ(渇)せる時のごれう(御料)はうれしき事なれども、はん(飯)と水とにはすぎず。仏に土をまい(進)らせて候(そうろう)人(ひと)仏となり、玉をまいらせて地獄へゆ(行)くと申すことこれか。
(平成新編1436・御書全集1561・正宗聖典ーーーー・昭和新定[3]2063・昭和定本[2]1721)
[弘安02(1279)年12月27日(佐後)]
[真跡・富士大石寺(70%以上100%未満"100%"現存)、古写本・日興筆 富士大石寺]
[※sasameyuki※]