今時(こんじ)の禅宗は大段、仁・義・礼・智・信の五常に背(そむ)けり。有智の高徳をおそ(畏)れ、老いたるを敬(うやま)ひ、幼(おさな)きを愛するは内外典(ないげてん)の法なり。然(しか)るを彼(か)の僧家の者を見れば、昨日今日まで田夫野人(でんぷやじん)にして黒白を知らざる者も、かちん(褐色)の直綴(じきとつ)をだにも著(き)つれば、うち慢(まん)じて天台真言の有智高徳の人をあなづ(侮)り、礼をもせず其(そ)の上に居(お)らんと思ふなり。是(これ)傍若無人(ぼうじゃくぶじん)にして畜生(ちくしょう)に劣(おと)れり。爰(ここ)を以(もっ)て伝教大師の御釈(おんしゃく)に云(い)はく川獺(せんだつ)祭魚のこゝろざし(志)、林烏父祖(りんうふそ)の食を通ず、鳩鴿三枝(きゅうごうさんし)の礼あり、行雁(こうがん)連(つら)を乱(みだ)らず、羔羊(こうよう)踞(うずくま)りて乳を飲む。賎(いや)しき畜生すら礼を知ること是(か)くの如(ごと)し、何(なん)ぞ人倫(じんりん)に於(おい)て其の礼な(無)からんやとあそばされたり 取意。彼等が法門に迷へる事(こと)道理なり。人倫にしてだにも知らず、是(これ)天魔波旬(てんまはじゅん)のふ(振)るま(舞)ひにあらずや。
(平成新編1461・御書全集1444・正宗聖典ーーーー・昭和新定[3]2097~2098・昭和定本[3]2126~2127)
["弘安03(1280)年12月""弘安03(1280)年02月"(佐後)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]