世間の愚者の思(おも)ひに云(い)はく、日蓮智者ならば何(なん)ぞ王難に値(あ)ふやなんど申す。日蓮兼(か)ねての存知(ぞんじ)なり。父母を打つ子あり、阿闍世王(あじゃせおう)なり。仏・阿羅漢(あらかん)を殺し血を出(い)だす者あり、提婆達多(だいばだった)是(これ)なり。六臣これをほ(誉)め、瞿伽利(くがり)等これを悦(よろこ)ぶ。日蓮当世には此(こ)の御一門の父母なり、仏・阿羅漢の如(ごと)し。然(しか)るを流罪(るざい)して主従(しゅじゅう)共に悦びぬる、あはれに無慚(むざん)なる者なり。謗法の法師(ほっし)等が自ら禍(わざわい)の既(すで)に顕(あら)はるゝを歎(なげ)きしが、か(斯)くなるを一旦(いったん)は悦ぶなるべし。後には彼等が歎き日蓮が一門に劣(おと)るべからず。例(れい)せば泰衡(やすひら)がせうと(弟)を討(う)ち、九郎判官(くろうほうがん)を討ちて悦びしが如し。既に一門を亡(ほろ)ぼす大鬼の此の国に入(い)るなるべし。法華経に云はく「悪鬼入其身(あっきにゅうごしん)」是(これ)なり。
(平成新編0580・御書全集0958・正宗聖典----・昭和新定[1]0838~0839・昭和定本[1]0613~0614)
[文永09(1272)年03月20日(佐後)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]