先(ま)づ法華経につけて御不審をた(立)てゝ其(そ)の趣(おもむき)を御尋(おたず)ね候(そうろう)事、あ(有)りがた(難)き大善根(だいぜんこん)にて候。須弥山(しゅみせん)を他方(たほう)の世界へつぶてになぐ(擲)る人よりも、三千大千世界をまり(鞠)の如(ごと)くにけあ(蹴上)ぐる人よりも、無量の余(よ)の経典を受け持(たも)ちて人に説きき(聞)かせ、聴聞(ちょうもん)の道俗(どうぞく)に六神通(じんつう)をえ(得)せしめんよりも、末法のけふ(今日)こ(此)のごろ(頃)法華経の一句一偈(いっくいちげ)のいはれをも尋ね問(と)ふ人はあ(有)りがた(難)し。此(こ)の趣を釈(しゃく)し説いて人の御不審をは(晴)らさすべき僧もあ(有)りがた(難)かるべしと、法華経の四の巻(まき)宝塔品(ほうとうほん)と申す処(ところ)に、六難九易と申して大事の法門(ほうもん)候。今(いま)此の御不審は六(むっつ)の難(かた)き事の内なり。爰(ここ)に知(し)んぬ、若(も)し御持(おたも)ちあ(有)らば即身成仏の人なるべし。
(平成新編1242~1243・御書全集1402・正宗聖典----・昭和新定[2]1850・昭和定本[2]1526)
[弘安01(1278)年07月03日(佐後)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]