又(また)法華経をあだむ人の科(とが)にあたる分斉(ぶんざい)をも(以)て、還(かえ)って功徳(くどく)となる分斉をも知(し)らせ給(たま)ふべし。例(れい)せば、父母を殺す人は何(いか)なる大善根をな(為)せども、天是(これ)を受け給ふ事なし。又法華経のかたき(敵)となる人をば、父母なれども殺しぬれば、大罪還って大善根となり候(そうろう)。設(たと)ひ十方三世の諸仏の怨敵(おんてき)なれども、法華経の一句を信じぬれば諸仏捨て給ふ事なし。是(これ)を以(もっ)て推(すい)せさせ給(たま)へ。御使(おんつか)ひいそ(急)ぎ候(そうら)へば委(くわ)しくは申さず候(そうろう)。又々(またまた)申すべく候。恐々謹言。
(平成新編1568・御書全集1426・正宗聖典----・昭和新定[3]2245・昭和定本[2]1882~1883)
[弘安04(1281)年08月22日(佐後)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]