さて法華経にうつ(遷)り候(そうら)はんは四十余年(しじゅうよねん)の経々をす(捨)てゝ遷(うつ)り候(そうろう)べきか、はた又(また) かの経々並びに南無阿弥陀仏等をばす(捨)てずして遷り候べきかとをぼ(思)しきところに、凡夫の私の計(はか)らひ是非(ぜひ)につけてをそ(恐)れあるべし。仏と申す親父の仰(おお)せを仰(あお)ぐべしとま(待)つところに、仏定(さだ)めて云(い)はく「正直捨方便(しょうじきしゃほうべん)」等云云。方便と申すは無量義経に未顕真実と申す上に以方便力(いほうべんりき)と申す方便なり。以方便力の方便の内に浄土三部経等の四十余年の一切経は一字一点も漏(も)るべからざるか。されば四十余年の経々をすてゝ法華経に入(い)らざらん人々は世間の孝不孝はし(知)らず、仏法の中には第一の不孝の者なるべし。故(ゆえ)に第二譬喩品(ひゆほん)に云はく「今此(こ)の三界は、乃至(ないし)復(また)教詔(きょうしょう)すと雖(いえど)も、而(しか)も信受(しんじゅ)せず」等云云。四十余年の経々をすてずして法華経に並べて行(ぎょう)ぜん人々は主師親の三人のをほ(仰)せを用(もち)ひざる人々なり。
(平成新編0428・御書全集1265~1266・正宗聖典ーーーー・昭和新定[1]0638・昭和定本[1]0444~0445)
[文永07(1270)年12月"文永06(1269)年"(佐前)]
[真跡・中山法華経寺(100%現存)]
[※sasameyuki※]