夫(それ)未萌(みぼう)を知る者は六正(りくせい)の聖臣(せいしん)なり。法華を弘(ひろ)むる者は諸仏の使者なり。而(しか)るに日蓮忝(かたじけな)くも鷲嶺(じゅれい)・鶴林(かくりん)の文(もん)を開いて、鵞王(がおう)・烏瑟(うしつ)の志(こころざし)を覚(さと)る。剰(あまつさ)へ将来を勘(かんが)へたるに粗(ほぼ)普合(ふごう)することを得(え)たり。先哲(せんてつ)に及(およ)ばずと雖(いえど)も、定(さだ)んで後人(こうじん)には希(まれ)なるべき者なり。法を知り国を思ふの志、尤(もっと)も賞(しょう)せらるべきの処(ところ)、邪法・邪教の輩(やから)、讒奏(ざんそう)・讒言(ざんげん)するの間、久(ひさ)しく大忠を懐(いだ)いて、而(しか)も未(いま)だ微望(びぼう)を達(たっ)せず。剰へ不快の見参(げんざん)に罷(まか)り入(い)ること、偏(ひとえ)に難治(なんじ)の次第(しだい)を愁(うれ)ふる者なり。
(平成新編0476・御書全集0183・正宗聖典ーーーー・昭和新定[1]0715~0716・昭和定本[1]0501~0502)
[文永08(1271)09月12日(佐前)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]