五逆(ごぎゃく)と謗法とを病(やまい)に対(たい)すれば、五逆は霍乱(かくらん)の如(ごと)くして急に事を切る。謗法は白癩病(びゃくらいびょう)の如し、始めは緩(ゆる)やかに後(のち)漸々(ぜんぜん)に大事なり。謗法の者は多くは無間地獄に生(しょう)じ、少しは六道に生を受(う)く。人間に生ずる時は貧窮(びんぐ)下賎(げせん)等、白癩病等と見えたり。日蓮は法華経の明鏡(めいきょう)をも(以)て自身に引き向(む)かへたるに都(すべ)てくも(曇)りなし。過去の謗法の我が身にある事疑(うたが)ひなし。此(こ)の罪を今生(こんじょう)に消さずば未来に争(いか)でか地獄の苦をば免(まぬか)るべき。過去遠々(かこおんのん)の重罪をば何(いか)にしてか皆集めて今生に消滅して未来の大苦(だいく)を免れんと勘(かんが)へしに、当世(とうせい)時に当たって謗法の人々国々(くにぐに)に充満せり。其(そ)の上(うえ)国主既(すで)に第一の誹謗の人たり。此の時(とき)此の重罪を消さずば何(いつ)の時をか期(ご)すべき。日蓮が小身(しょうしん)を日本国に打ち覆(おお)ふてのゝし(罵)らば、無量無辺の邪法の四衆(ししゅう)等、無量無辺の口を以て一時に■(=紫-糸+言)(そし)るべし。爾(そ)の時に国主は謗法の僧等が方人(かたうど)として日蓮を怨(あだ)み、或(あるい)は頸(くび)を刎(は)ね、或は流罪(るざい)に行(おこ)なふべし。度々(たびたび)かゝる事出来(しゅったい)せば無量劫(むりょうこう)の重罪一生(いっしょう)の内に消えなんと謀(くわだ)てたる大術(だいじゅつ)少しも違(たが)ふ事なく、かゝる身となれば所願(しょがん)も満足なるべし。
(平成新編0711~0712・御書全集1126・正宗聖典----・昭和新定[2]1038~1039・昭和定本[1]0780~0781)
[文永10(1273)年(佐後)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]