其(そ)の上(うえ)殿はをさな(幼)くをはしき。故(こ)親父は武士なりしかどもあなが(強)ちに法華経を尊(とうと)み給(たま)ひしかば、臨終正念(りんじゅうしょうねん)なりけるよし(由)う(受)け給はりき。其の親の跡(あと)をつ(継)がせ給ひて又(また)此(こ)の経を御信用(ごしんよう)あれば、故(こ)聖霊(しょうりょう)いかに草のかげ(陰)にても喜びおぼすらん。あはれい(生)きてをはせばいかにうれ(嬉)しかるべき。此の経を持(たも)つ人々は他人なれども同じ霊山(りょうぜん)へまいりあわせ給ふなり。いかにいは(況)んや故聖霊も殿も同じく法華経を信ぜさせ給へば、同じところに生まれさせ給ふべし。いかなれば、他人は五六十までも親と同じしらが(白髪)なる人もあ(有)り。我(わ)がわか(若)き身に、親にはや(早)くをく(後)れて教訓をもう(受)け給はらざるらんと、御心のうちを(推)しはか(量)るこそなみだ(涙)もと(止)まり候(そうら)はね。
(平成新編0745・御書全集1508~1509・正宗聖典ーーーー・昭和新定[2]1086~1087・昭和定本[1]0836)
[文永11(1274)年11月11日(佐後)]
[古写本・日興筆 富士大石寺]
[※sasameyuki※]