又(また)世間の人々の思(おも)ひて候(そうろう)は、親には子は是非(ぜひ)に随(したが)ふべしと、君臣(くんしん)師弟(してい)も此(か)くの如(ごと)しと。此等(これら)は外典(げてん)をも弁(わきま)へず、内典をも知らぬ人々の邪推(じゃすい)なり。外典の孝経には子父・臣君諍(いさか)ふべき段(だん)もあり、内典には「恩を棄(す)てゝ無為(むい)に入(い)るは真実に恩を報(ほう)ずる者なり」と仏(ほとけ)定め給(たま)ひぬ。
悉達太子(しっだたいし)は閻浮(えんぶ)第一の孝子(こうし)なり。父の王の命(おおせ)を背(そむ)きてこそ父母をば引導(いんどう)し給ひしか。比干(ひかん)が親父紂王(ちゅうおう)を諫暁(かんぎょう)して、胸をほ(掘)られてこそ賢人(けんじん)の名をば流(なが)せしか。賎(いや)しみ給ふとも小法師が諫暁を用(もち)ひ給はずば現当(げんとう)の御歎(なげ)きなるべし。此(これ)は親の為に読みまいらせ候(そうら)はぬ阿弥陀経にて候(そうら)へば、いかにも当時は叶(かな)ふべしとおぼ(思)へ候(そうら)はず。恐々申し上げ候(そうろう)。
(平成新編1160・御書全集0364・正宗聖典----・昭和新定[2]1713・昭和定本[2]1344~1345)
[建治03(1277)年06月(佐後)]
[真跡・小湊誕生寺外三〇ヶ所(10%以上40%未満現存)、古写本・日澄筆 北山本門寺 日法筆 岡宮光長寺]
[※sasameyuki※]