御親父御逝去(ごせいきょ)の由(よし)、風聞(ふうぶん)真(まこと)にてや候らん。貴辺(きへん)と大夫志(さかん)の御事(おんこと)は代(よ)末法に入って生(せい)を辺土(へんど)にう(受)け、法華の大法を御信用候(そうら)へば、悪鬼(あっき)定めて国主と父母等の御身(おんみ)に入(い)りかわり怨(あだ)をなさん事疑(うたが)ひなかるべきところに、案(あん)にたが(違)ふ事なく親父より度々(たびたび)の御かんだう(勘当)をかうほ(蒙)らせ給(たま)ひしかども、兄弟ともに浄蔵・浄眼の後身(こうしん)か、将又(はたまた)薬王・薬上の御計(はか)らひかのゆへ(故)に、ついに事ゆへなく親父の御かんき(勘気)ゆ(許)りさせ給ひて、前(さき)に立てまいらせし御孝養(ごこうよう)、心にまか(任)させ給ひぬるは、あに(豈)孝子(こうし)にあらずや。定めて天よりも悦(よろこ)びをあた(与)へ、法華経・十羅刹(じゅうらせつ)も御納受(ごのうじゅ)あるべし。其(そ)の上貴辺の御事は心の内に感じをも(思)う事候。此(こ)の法門(ほうもん)経のごと(如)くひろ(弘)まり候わば御悦び申し候(そうろう)べし。穴賢穴賢。兄弟の御中(おんなか)不和(ふわ)にわたらせ給ふべからず、不和にわたらせ給ふべからず。大夫志殿の御文(おんふみ)にくは(委)しくか(書)きて候。き(聞)こしめ(食)すべし。恐々謹言。
(平成新編1353~1354・御書全集1100・正宗聖典----・昭和新定[3]1962・昭和定本[2]1626~1627)
[弘安02(1279)年02月28日"弘安02(1279)年02月21日"(佐後)]
[真跡・京都頂妙寺外二ヶ所(40%以上70%未満現存)]
[※sasameyuki※]