天竺(てんじく)に嫉妬(しっと)の女人(にょにん)あり。男をにく(憎)む故(ゆえ)に、家内(かない)の物をことごとく打ちやぶ(破)り、其(そ)の上にあまりの腹立(はらだち)にや、すがた(姿)けしき(気色)か(変)わり、眼は日月の光のごと(如)くかがや(輝)き、くち(口)は炎をは(吐)くがごとし。すがたは青鬼・赤鬼のごとくにて、年来(つしごろ)男のよ(読)み奉(たてまつ)る法華経の第五の巻をと(取)り、両の足にてさむざむ(散々)にふ(踏)みける。其の後命(いのち)つ(尽)きて地獄にを(堕)つ。両の足ばかり地獄にい(入)らず。獄卒(ごくそつ)鉄杖(てつじょう)をもってう(打)てどもいらず。是(これ)は法華経をふみし逆縁の功徳による。今(いま)日蓮をにくむ故に、せうぼう(少輔房)が第五の巻を取りて予(よ)がをもて(面)をう(打)つ、是も逆縁となるべきか。彼(かれ)は天竺此(これ)は日本、かれは女人これはをとこ(男)、かれは両のあし(足)これは両の手、彼は嫉妬の故(ゆえ)此は法華経の御故なり。されども法華経の第五の巻はをな(同)じきなり。彼(か)の女人のあし(足)地獄に入(い)らざらんに、此(こ)の両の手無間(むけん)に入(い)るべきや。たゞ(但)し彼は男をにく(憎)みて法華経をばにくまず。此は法華経と日蓮とをにくむなれば一身(いっしん)無間に入(い)るべし。経に云(い)はく「其の人命終(みょうじゅう)して阿鼻獄(あびごく)に入(い)らん」云云。手ばかり無間に入(い)るまじとは見(み)へず、不便(ふびん)なり不便なり。ついには日蓮にあ(値)ひて仏果(ぶっか)をう(得)べきか。不軽菩薩(ふきょうぼさつ)の上慢(じょうまん)の四衆(ししゅう)のごとし。
(平成新編1358~1359・御書全集1555~1556・正宗聖典ーーーー・昭和新定[3]1970~1971・昭和定本[2]1633~1634)
[弘安02(1279)年04月20日(佐後)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]