悲しいかな、我等誹謗正法の国に生まれて大苦に値(あ)はん事よ。設(たと)ひ謗身(ぼうしん)は脱(のが)ると云ふとも、謗家(ぼうけ)謗国(ぼうこく)の失(とが)如何(いかん)せん。謗家の失を脱れんと思はゞ、父母兄弟等に此の事を語り申せ。或は悪(にく)まるゝか、或は信ぜさせまいらするか。謗国の失を脱れんと思はゞ、国主を諫暁し奉りて死罪か流罪かに行なはらるべきなり。「我不愛身命(がふあいしんみょう)、但惜無上道(たんじゃくむじょうどう)」と説かれ「身軽法重(しんきょうほうじゅう)、死身弘法(ししんぐほう)」と釈せられしは是(これ)なり。過去遠々劫より今に仏に成らざりける事は、加様(かよう)の事に恐れて云ひ出(い)ださゞりける故なり。未来も亦復(またまた)是(か)くの如(ごと)くなるべし。今日蓮が身に当たりてつみ知られて候(そうろう)。設ひ此の事を知る弟子等の中にも、当世の責めのおそろしさと申し、露(つゆ)の身の消え難(がた)きに依(よ)りて、或は落ち、或は心計(ばか)りは信じ、或はとかう(左右)す。御経の文に「難信難解(なんしんなんげ)」と説かれて候が身に当たって貴く覚(おぼ)へ候ぞ。謗(ぼう)ずる人は大地微塵(みじん)の如し。信ずる人は爪上(そうじょう)の土の如し。謗ずる人は大海、進む人は一■[=清-青+帝](いってい)なり。
(平成新編1452~1453・御書全集1076~1077・正宗聖典----・昭和新定[3]2084~2085・昭和定本[2]1737~1738)
[弘安03(1280)年01月27日(佐後)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]