一 捨悪知識 親近(しんごん)善友の事
仰(おお)せに云(い)はく、悪知識とは在世にては善星(ぜんしょう)・瞿伽利(くがり)・提婆(だいば)等是(これ)なり、善友とは迦葉(かしょう)・舎利弗(しゃりほつ)・阿難(あなん)・目連(もくれん)等是なり。末法当今に於(おい)て悪知識と云ふは、法然・弘法・慈覚・智証等の権人(ごんじん)謗法の人々なり。善知識と申すは日蓮等の類(たぐい)の事なり。総(そう)じて知識に於て重々之(これ)有り。外護(げご)の知識、同行の知識、実相(じっそう)の知識是なり。所詮(しょせん)実相の知識とは所詮南無妙法蓮華経是なり。知識とは形を知り、心を知るを云ふなり。是即(すなわ)ち色心(しきしん)の二法なり。謗法の色心を捨て法華経の妙境妙智(みょうきょうみょうち)の色心を顕(あら)はすべきなり。悪友は謗法の人々なり。善友は日蓮等の類なり云云。
(平成新編1837・御書全集0823~0824・正宗聖典----・昭和新定[3]2897・昭和定本[3]2565)
[弘安01(1278)年03月19日~弘安03(1280)年05月28日(佐後)]
[古写本・京都要法寺、戸田妙顕寺]
[※sasameyuki※]