前々(さきざき)の諸難はさてお(置)き候(そうら)ひぬ。去(い)ぬる九月十二日御勘気(ごかんき)をかふ(蒙)りて、其(そ)の夜のうちに頸(くび)をは(刎)ねらるべきにて候ひしが、いかなる事にやよりけん、彼(か)の夜は延(の)びて此(こ)の国に来たりていま(今)まで候(そうろう)に、世間にもす(捨)てられ、仏法にも捨てられ、天にもとぶら(訪)はれず、二途にかけたるすてもなり。而(しか)るを何(いか)なる御志にてこれまで御使ひをつか(遣)はし、御身(おんみ)には一期(いちご)の大事たる悲母(ひぼ)の御追善(ごついぜん)第三年の御供養を送りつか(遣)はされたる事、両三日はうつゝ(現)ともおぼ(思)へず。彼(か)の法勝寺の修行が、いはを(硫黄)が島にてとしごろ(年来)つかひける童(わらべ)にあひたりし心地(ここち)なり。胡国(ここく)の夷(えびす)陽公とい(言)ひしもの、漢土(かんど)にい(生)けど(捕)られて北より南へ出(い)でけるに、飛びちがひける雁(かり)を見てなげ(嘆)きけんも、これにはしかじとおぼへたり。但し法華経に云(い)はく「若(も)し善男子(ぜんなんし)善女人(ぜんにょにん)、我が滅度の後に能(よ)く竊(ひそか)に一人(いちにん)の為(ため)にも法華経の乃至(ないし)一句を説かん。当(まさ)に知るべし是(こ)の人は則(すなわ)ち如来の使ひ如来の所遣(しょけん)として如来の事(じ)を行(ぎょう)ずるなり」等云云。法華経を一字一句も唱(とな)へ、又(また)人にも語り申さんものは教主釈尊の御使ひなり。然(しか)れば日蓮賎(いや)しき身なれども教主釈尊の勅宣(ちょくせん)を頂戴(ちょうだい)して此の国に来たれり。此(これ)を一言もそし(誹)らん人々は罪無間を開き、一字一句も供養せん人は無数の仏を供養するにもす(過)ぎたりと見えたり。
(平成新編0619~0620・御書全集1120~1121・正宗聖典----・昭和新定[1]0889~0890・昭和定本[1]0664)
[文永09(1272)年(佐後)]
[古写本・日興筆 北山本門寺]
[※sasameyuki※]