次に寿量品の法門は日蓮が身に取ってたの(頼)みあることぞかし。天台・伝教等も粗(ほぼ)し(知)らせ給(たま)へども言(ことば)に出(い)だして宣(の)べ給はず。竜樹・天親(てんじん)等も亦(また)是(か)くの如(ごと)し。寿量品の自我偈に云(い)はく「一心に仏を見たてまつらんと欲(ほっ)して自(みずか)ら身命(しんみょう)を惜しまず」云云。日蓮が己心(こしん)の仏果(ぶっか)を此(こ)の文に依(よ)って顕(あら)はすなり。其(そ)の故(ゆえ)は寿量品の事(じ)の一念三千の三大秘法を成就せる事(こと)此の経文なり、秘すべし秘すべし。叡山(えいざん)の大師渡唐(ととう)して此の文の点を相伝(そうでん)し給ふ処(ところ)なり。一とは一道清浄(いちどうしょうじょう)の義、心とは諸法なり。されば天台大師心の字を釈(しゃく)して云はく「一月三星心果(しんか)清浄」云云。日蓮云はく、一とは妙なり、心とは法なり、欲とは蓮なり、見とは華なり、仏とは経なり。此の五字を弘通(ぐつう)せんには不自惜身命(ふじしゃくしんみょう)是(これ)なり。一心に仏を見る、心を一(ひとつ)にして仏を見る、一心を見れば仏なり。無作(むさ)の三身(さんじん)の仏果を成就せん事は、恐(おそ)らくは天台・伝教にも越へ竜樹・迦葉(かしょう)にも勝(まさ)れたり。相構(あいかま)へ相構へて心の師とはなるとも心を師とすべからずと仏は記(しる)し給ひしなり。法華経の御為(おんため)に身をも捨て命をも惜しまざれと強盛(ごうじょう)に申せしは是(これ)なり。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。
(平成新編0669・御書全集0892・正宗聖典----・昭和新定[2]0986~0987・昭和定本[1]0730~0731)
[文永10(1273)年05月28日(佐後)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]