疑って云(い)はく、経々の勝劣(しょうれつ)之(これ)を論じて何か為(せ)ん。答(こた)へて曰(いわ)く、法華経の第七に云はく「能(よ)く是(こ)の経典を受持(じゅじ)する者有れば亦復(またまた)是(か)くの如(ごと)し。一切衆生の中に於(おい)て亦(また)為(こ)れ第一なり」等云云。此(こ)の経の薬王品(やくおうほん)に十喩(じゅうゆ)を挙(あ)げて已今当(いこんとう)の一切経に超過すと云云。第八の譬(たと)へ、兼(か)ねて上の文に有り。所詮(しょせん)仏意の如くならば経の勝劣を詮(せん)とするに非(あら)ず。法華経の行者は一切の諸人(しょにん)に勝れたるの由(よし)之を説く。大日経等の行者は諸山・衆星・江河・諸民なり。法華経の行者は須弥山(しゅみせん)・日月・大海等なり。而(しか)るに今の世(よ)は法華経を軽蔑(けいべつ)すること土の如く民の如し。真言の僻人(びゃくにん)等を重崇(じゅうすう)して国師(こくし)と為(す)ること金(こがね)の如く王の如し。之に依(よ)って増上慢(ぞうじょうまん)の者(もの)国中に充満す。青天瞋(いか)りを為(な)し黄地夭■(=蘖-木+子)(おうじようげつ)を致(いた)す。涓(しずく)聚(あつ)まりて■(=垢-后+庸)塹(ようぜん)を破るが如く、民の愁(うれ)い積(つも)りて国を亡(ほろぼ)す等是(これ)なり。
(平成新編0754・御書全集1004・正宗聖典----・昭和新定[2]1118~1119・昭和定本[1]0854)
[文永12(1275)年01月24日(佐後)]
[真跡・中山法華経寺(100%現存)]
[※sasameyuki※]