『立正観抄』(佐後)[古写本] | 細雪の物置小屋

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[参考]『日蓮大聖人の「御書」をよむ 上 法門編』著者・小林正博
発行所・株式会社第三文明社
『日蓮大聖人の「御書」をよむ 下 御消息編』著者・河合 一
発行所・株式会社第三文明社

 法華止観(しかん)同異決
 当世(とうせい)天台の教法(きょうほう)を習学するの輩(ともがら)、多く観心(かんじん)修行を貴(とうと)んで法華本迹(ほんじゃく)二門を捨(す)つと見えたり。今問(と)ふ、抑(そもそも)観心修行と言ふは天台大師の摩訶止観(まかしかん)の説己心中所行法門(せっこしんちゅうしょぎょうほうもん)の一心三観(いっしんさんがん)・一念三千の観(かん)に依(よ)るか、将又(はたまた)世(よ)に流布(るふ)せる達磨(だるま)の禅観(ぜんかん)に依るか。若(も)し達磨の禅観に依るとい(云)はゞ、教禅(きょうぜん)とは未顕真実・妄語(もうご)方便の禅観なり。法華経妙禅(みょうぜん)の時には正直捨方便と捨てらるゝ禅なり。祖師達磨禅(そしだるまぜん)とは教外別伝(きょうげべつでん)の天魔の禅なり。共に是(これ)無得道(むとくどう)・妄語の禅なり。仍(よ)って之(これ)を用(もち)ふべからざるなり。若し天台の止観の一心三観に依るとならば止観一部の廃立(はいりゅう)、天台の本意(ほんい)に背くべからざるなり。若し止観修行の観心に依るとならば、法華経に背くべからず。止観一部は法華経に依(よ)って建立(こんりゅう)す。一心三観の修行は妙法の不可得(ふかとく)なるを感得せんが為(ため)なり。故(ゆえ)に知(し)んぬ、法華経を捨てゝ但(ただ)観を正(しょう)とするの輩は大謗法・大邪見・天魔の所為(しょい)なることを。其(そ)の故は天台の一心三観とは、法華経に依って三昧(さんまい)開発するを己心証得(こしんしょうとく)の止観と云ふ故なり。
(平成新編0766・御書全集0527・正宗聖典----・昭和新定[2]1104・昭和定本[1]0844)
[文永12(1275)年02月"文永11(1274)年"(佐後)]
[古写本・日進筆 身延久遠寺、日朝筆 茨城猿島 富久成寺]
[※sasameyuki※]