然(しか)るに浄蓮上人(じょうれんしょうにん)の親父は彼等の人々の御檀那(おだんな)なり。仏教実ならば無間大城(むけんだいじょう)疑(うたが)ひなし。又君の心を演(の)ぶるは臣、親の苦をやす(安)むるは子なり。目■(=牡-土+建)(もっけん)尊者(そんじゃ)は悲母(ひぼ)の餓鬼の苦を救ひ、浄蔵浄眼は慈父(じふ)の邪見を翻(ひるがえ)し給(たま)ひき。父母の遺体(いたい)は子の色心(しきしん)なり。浄蓮上人の法華経を持(たも)ち給ふ御功徳は慈父の御力(おちから)なり。提婆達多(だいばだった)は阿鼻地獄(あびじごく)に堕(お)ちしかども天王如来(てんのうにょらい)の記を送り給ひき。彼は仏と提婆と同性一家なる故(ゆえ)なり。此(これ)は又慈父なり、子息なり。浄蓮上人の所持の法華経いか(争)でか彼の故聖霊(こ しょうりょう)の功徳とならざるべき。事多しと申せども止(とど)め畢(おわ)んぬ。三反(さんべん)人によ(読)ませてき(聞)こしめせ。恐々謹言。
返(かえ)す返(がえ)すするが(駿河)の人々みな(皆)同じ御心(みこころ)と申させ給ひ候(そうら)へ。
(平成新編0881~0882・御書全集1434~1435・正宗聖典ーーーー・昭和新定[2]1305~1306・昭和定本[2]1077~1078)
[建治01(1275)年06月27日(佐後)]
[古写本・日興筆 北山本門寺]
[※sasameyuki※]