今の代(よ)には正嘉(しょうか)の大地震、文永の大せひせひ(彗星)の時、智慧(ちえ)かしこ(賢)き国主あらましかば、日蓮をば用(もち)ひつべかりしなり。それこそな(無)からめ、文永九年のどしう(同士打)ち、十一年の蒙古(もうこ)のせ(攻)めの時は、周の文王の太公望(たいこうぼう)をむか(迎)へしがごと(如)く、殷(いん)の高丁王の傅悦(ふえつ)を七里より請(しょう)ぜしがごとくすべかりしぞかし。日月は生き盲(めくら)の者には財(たから)にあら(非)ず、賢人をば愚王のにく(憎)むとはこれなり。しげ(繁)きゆへ(故)にしる(記)さず。法華経の御心(みこころ)と申すはこれてひ(是体)の事にて候(そうろう)。外(ほか)のこととおぼ(思)すべからず。大悪は大善の来(き)たるべき瑞相(ずいそう)なり。一閻浮提(いちえんぶだい)うちみだ(乱)すならば、閻浮提内広令流布(こうりょうるふ)はよも疑(うたが)ひ候(そうら)はじ。
(平成新編0926・御書全集1467・正宗聖典----・昭和新定[2]1401~1402・昭和定本[2]1131)
[建治01(1275)年(佐後)]
[真跡・富士大石寺(100%現存)]
[※sasameyuki※]