忘れ給(たま)ふ所の御持経(ごじきょう)追って修行者に持たせ之(これ)を遣(つか)はす。
魯(ろ)の哀公(あいこう)云(い)はく「人好(よ)く忘るゝ者有り。移宅(わたまし)に乃(すなわ)ち其(そ)の妻を忘れたり」云云。孔子(こうし)云はく「又(また)好く忘るゝこと此(これ)より甚(はなはだ)しき者有り。桀紂(けっちゅう)の君は乃ち其の身を忘れたり」等云云。夫(それ)槃特尊者(はんどくそんじゃ)は名を忘る。此(これ)閻浮(えんぶ)第一の好く忘るゝ者なり。今(いま)常忍上人(じょうにんしょうにん)は持経を忘る。日本第一の好く忘るゝの仁(ひと)か。大通結縁(だいつうけちえん)の輩(ともがら)は衣珠(えじゅ)を忘れ、三千塵劫(さんぜんじんごう)を経て貧路(ひんろ)に踟■(=躊-壽+厨)(ちちゅう)し、久遠下種の人は良薬(ろうやく)を忘れ、五百塵点(ごひゃくじんでん)を送りて三途(さんず)の嶮地(けんじ)に顛倒(てんどう)せり。今の真言宗・念仏宗・禅宗・律宗等の学者等は仏陀(ぶっだ)の本意を忘失(もうしつ)し、未来無数劫(むしゅこう)を経歴(きょうりゃく)して阿鼻(あび)の火坑(かきょう)に沈淪(ちんりん)せん。此より第一の好く忘るゝ者あり。所謂(いわゆる)今の世の天台宗の学者等と持経者等との日蓮を誹謗(ひぼう)し念仏者等を扶助(ふじょ)する是(これ)なり。親に背(そむ)きて敵(かたき)に付き刀を持ちて自(みずか)らを破る。此等(これら)は且(しばら)く之を置く。
(平成新編0956~0957・御書全集0976~0977・正宗聖典----・昭和新定[2]1439・昭和定本[2]1150)
[建治02(1276)年03月30日"建治02(1276)年03月""建治02(1276)年"(佐後)]
[真跡・中山法華経寺(100%現存)、古写本・信伝筆"日澄筆" 北山本門寺]
[※sasameyuki※]