日本国の人々は、法華経は尊とけれども、日蓮房が悪(にく)ければ南無妙法蓮華経とは唱(とな)へまじとことは(断)り給(たま)ふとも、今一度も二度も大蒙古国(だいもうここく)より押し寄せて、壱岐(いき)・対馬(つしま)の様(よう)に、男をば打ち死(ころ)し、女をば押し取り、京・鎌倉に打ち入りて、国主並びに大臣百官等を搦(から)め取り、牛馬の前にけた(蹴立)て、つよ(強)く責(せ)めん時は、争(いか)でか南無妙法蓮華経と唱へざるべき。法華経の第五の巻をも(以)て日蓮が面(おもて)を数箇度(すうかど)打ちたりしは、日蓮は何とも思はず、うれ(嬉)しくぞ侍(はべ)りし。不軽品(ふきょうほん)の如(ごと)く身を責め、勧持品(かんじほん)の如く身に当たって貴(とうと)し貴し。但(ただ)し法華経の行者を悪人に打たせじと、仏前にして起請(きしょう)をか(書)きたりし梵王・帝釈・日月・四天等、いかに口惜(くちお)しかるらん。現身にも天罰をあたらざる事は、小事ならざれば始中終をくゝ(括)りて其(そ)の身を亡(ほろ)ぼすのみならず、議せらるゝか。あ(敢)へて日蓮が失(とが)にあら(非)ず。謗法の法師(ほっし)等をたす(助)けんが為に、彼等が大禍(たいか)を自身に招きよせさせ給ふか。
(平成新編0969・御書全集1241・正宗聖典----・昭和新定[2]1458~1459・昭和定本[2]1168~1169)
[建治02(1276)年閏03月05日(佐後)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]