今、日蓮は賢人にもあら(非)ず、まして聖人(しょうにん)はおも(思)ひもよらず。天下第一の僻人(びゃくにん)にて候が、但(ただ)経文計(ばか)りにはあ(合)ひて候やう(様)なれば、大難(だいなん)来(き)たり候(そうら)へば、父母のい(生)きかへ(返)らせ給(たま)ひて候よりも、にく(憎)きもの(者)ゝこと(事)にあ(遭)ふよりもうれ(嬉)しく候なり。愚者(ぐしゃ)にて而(しか)も仏に聖人とおも(思)はれまいらせて候(そうら)はん事こそ、うれしき事にて候へ。智者たる上、二百五十戒かた(堅)くたも(持)ちて、万民(ばんみん)には諸天の帝釈をうやま(敬)ふよりもうやまはれて、釈迦仏、法華経に不思議なり提婆がごとしとおも(思)はれまいらせなば、人目(ひとめ)はよ(良)きやうなれども後生(ごしょう)はおそ(恐)ろしおそろし。
(平成新編1123・御書全集1538~1539・正宗聖典----・昭和新定[2]1659~1660・昭和定本[2]1308)
[建治03(1277)年05月15日(佐後)]
[真跡・大石寺外五ヶ所(10%以上40%未満現存)、古写本・日興筆 富士大石寺]
[※sasameyuki※]