皆(みな)人のをも(思)ひて候(そうろう)は、父には子したが(随)ひ、臣は君にかなひ、弟子は師にゐ(違)すべからずと云云。かしこ(賢)き人もいやし(卑)しき者もし(知)れる事なり。しかれども貪欲(とんよく)・瞋恚(しんに)・愚癡(ぐち)と申すさけ(酒)にゑ(酔)ひて、主に敵し、親をかろ(軽)しめ、師をあなづ(侮)る、つね(常)にみ(見)へて候。但(ただ)師と主と親とに随(したが)ひてあ(悪)しき事を諫(いさ)めば孝養(こうよう)となる事は、さき(先)の御(おん)ふみ(文)にかきつけて候(そうら)ひしかば、つね(常)に御らむ(覧)あるべし。
(平成新編1182~1183・御書全集1090・正宗聖典----・昭和新定[2]1739~1740・昭和定本[2]1402)
[建治03(1277)年11月20日"建治01(1275)年11月20日"(佐後)]
[真跡・京都妙覺寺外一ヶ所(70%以上100%未満現存)]
[※sasameyuki※]