一、又(また)五人一同に云(い)はく、富士の立義(りゅうぎ)の為体(ていたらく)啻(ただ)に法門の異類(いるい)に擬(ぎ)するのみに匪(あら)ず、剰(あまつさ)へ神無の別途(べっと)を構(かま)ふ。既(すで)に以(もっ)て道を失(うしな)ふ、誰人(だれびと)か之(これ)を信(しん)ぜんや。
日興が云はく、我が朝(ちょう)は是(これ)神明和光の塵(じん)、仏陀利生(りしょう)の境(きょう)なり。然(しか)りと雖(いえど)も今(いま)末法に入(い)って二百余年、御帰依(ごきえ)の法は爾前迹門(にぜんしゃくもん)なり。誹謗(ひぼう)の国を棄捨(きしゃ)するの条(じょう)は経論の明文(めいぶん)にして先師(せんし)の勘(かんが)ふる所(ところ)なり、何(なん)ぞ善神聖人(しょうにん)の誓願(せいがん)に背(そむ)き、新たに悪鬼乱入(あっきらんにゅう)の社壇(しゃだん)に詣(もう)でんや。但(ただ)し本門流宣の代(よ)、垂迹還住(すいじゃくげんじゅう)の時は、尤(もっと)も上下を撰(えら)んで鎮守(ちんじゅ)を定(さだ)むべし云云。
(平成新編1880・御書全集1614・正宗聖典0551・昭和新定[-]----・昭和定本[-]----)
[嘉暦03(1328)年07月(佐後)]
[古写本・日時筆 富士大石寺]
[※sasameyuki※]